選挙は自民党の圧勝となった。事前の予想でも産経新聞などは自民党300議席の報道を流していたので、驚きはなかった。
小泉首相のワンフレーズ(馬鹿のひとつ覚えともいう)政局が、終始リードしたかっこうだ。ワイドショー型政治・選挙といわれたのは、田中真紀子が大臣になったころから言われだしたとおもうが、それがずっと続いたかっこうだ。
国民はそれほど馬鹿ではないと思ったが、
雑誌『R25』というリクルートが発行しているフリーペーパーの最終ページのエッセイを読んだときに、やばいなと感じた。
そこでは
石田衣良という作家が、小泉首相を評価している、郵政改革がすべの改革の入り口であるかのような、小泉の語り口をそのまま書き記している。なぜそうなのかは彼自身の視点では書いていない。
また運用担当が庶民がたくわえてきたお金を減らし続けてきたと書いている。しかし、その責任は最高責任者である小泉首相ではないのか? それを変更できないとは言わせない。
また、民営化後の外資系金融機関が参入していることが、さほど問題ではないと書いている。それはアメリカの自動車市場で日本が巨額の利益をあげている例をだして、市場のフェアネスが損なわれると書いている。しかし、自動車産業の利益と公的な簡保・金融サービスは別物だし、自動車企業がもうけていることを国民の資金で払わせるのもおかしな話である。
小泉首相がブレのなさを評価しているらしいが、道路公団民営化についてはそうとう内容としてはブレているのではないか。
結局石田は素直に
既得権益をもつ郵政族といきずまった日本を変えようとしているのは改革派のたたかい。
小泉首相のスローガンをまんま認識しているようだが、単純にいえばそのようなことは、あまりしていないのだ。ようは格差拡大、市場導入によりアメリカのような自己責任社会(したがって地震や台風でも、あまり援助できない。アメリカ・ニューオリンズのハリケーン被害のような状況にある)にもっていこうとしているだけだ。
いっけん賢いと思われている作家が、一般人のおなじような思考水準であることに(まあ、作家はエキセントリックでなければならない、とは思わないが、フツーの人だとちょっと待てよって気がする)ガッカリしたが、そうなると、これはみんな同じような思考しているなと感じたのである。
要は大新聞・テレビなどの大マスコミ宣伝のたまものであり、小泉政策にたいする批判が形成されていなかったことがおおきく作用している。